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2016年07月21日

001/なぜ-1

なぜ、淡路島の家プロジェクトを始めたのか?

学生のころから、建築に携わって約18年。
建築について何を知っているんだろう?というそこはかとない疑問がわいてきた。
設計の仕事は、先輩、師匠に教わったり、自分なりに本を見ながら勉強したり、現場で職人さんに聞いたりしたことをもとに一本一本、線を引いて図面を仕上げていく。そして、それが実際多くの人や予算を使って立ち上がっていくのである。例えば、柱に杉を使おうと思うと、スギ120×120程度の情報を書くとどこからともなく杉材が運ばれてきて、なにくわぬ顔で指示した場所にそこにあるべきものとして立っている。
確かに、情報として知識はある程度持っているが、体感としてその材料がどういうものか全くわかっていない。
森の中に立っている杉を見て、僕はこれを使えると思えるか?そもそも、それが杉と自信をもって判別できるのか?どうやって立っている木を建材として使える状態にしているのだろう?
それは、木材だけでなくおおよそほとんどの材料や商品がそういう風に運ばれて組み立てられ家ができていく。果たしてそれで本当に建築についてわかっていることになっているのであろうか?知ったつもりで何も知らないのではないだろうか?

ある材木屋さんと話をしていて。
「最近の設計士はどっちが柱の上か下かもわからない。柱が上下逆になっているものがよくあるんや。なにも知らないのが先生、先生言われるんだから、困ったもんだよ」
先人たちが築き上げてくれたよくできた流通の仕組みや加工システムのおかげで、今の僕たちはそんなことを知らなくても設計ができてしまえる状況にある。そこに、文字や数字では表せない、とても重要な何かを見落としてしまっているような気がしてならない。
よくわかからない疑問がふつふつとわき始めたのは、淡路島で仕事をするようになってしばらくしてからのことある。