2018年01月28日
125/オモテとウラ
民家におけるオモテとウラの区別は使われ方に関わる機能的なものである。接客や儀礼(婚儀や葬式)など公的・対外的な機能をハレの場=オモテ。
にたいして、私的、日常的な機能ケの場をケの場=ウラとなる。近世末期の開放的でフレキシビリティーの高い住居においても、いわば習慣的な使い分けに伴って見えない領域分節が存在する。
建築史家の伊藤ていじは
「日本のいえにはオモテとウラがある。道-門-間-奥というふうに展開する。しかもその随所に神様がうずくまっていた。神棚と仏壇が同居しているばかりではなかった。カマド神、納戸神、井戸神をはじめ大黒柱にも座敷にもそれぞれの畏敬の力が配当されていた。家そのものが一つの結界を暗示していたのである。」
と述べているが、結界的・領域分割的な空間の差分が存在し、至る処に神が宿る住空間のあり方に触れている。民家の室名・使われ方には、室名呼称の地域差を別にして一定のルールがあり、オモテには「座敷(仏間)周りの室」が、ウラには「寝間(納戸)周りの室」が基本的に対応する。基本間取りである四間取りで見ると「おくのま」「でのま」からなる座敷列がオモテに、「なんど」「だいどこ」からなる寝室・収納・居間列がウラとなり、オモテが南面する。また、土間側がシモ、床座の側がカミとなり、最もカミに床の間や仏壇がしつらえられる。
現代の暮らしにおいて、オモテとウラという区分があいまいになった。冠婚葬祭などを各家庭で行われなくなったのが大きいだろう。ただ、まったくなくなったのではなくまだ、公的な部屋と私的な部屋の境界はある。民家のように廊下がなく障子や襖だけで仕切られるのではなく、各部屋を廊下でつなぐようになり、今までより個室の意味合いが強くなっている。今では夫婦の部屋、各子供の部屋という具合にだれだれの部屋が与えられる。公的な場が外部にだされ、より個が重視されるようになる。そして、日常の居場所として、東、南側に居室がとられる。特に、この敷地においては太陽の光、視線の抜け、夏の風は東、南面から与えられ、居場所としては望ましい環境となる。