2016年10月16日
011/淡路島古民家考
南側から長屋門を通って中庭を抜け玄関に達する。昔は、長屋門のところで農作業や牛を飼育しているところが多かったようだ。屋根は瓦屋根で入母屋造りの下屋がついた構成。基礎は礎石、延べ石の上に直接立つ石場建てになっている。足固めが入っていないものが多く直接土壁が柱と柱の間に竹小舞を下地に塗られている。壁は漆喰が塗られるところが多いが、雨掛かりには杉板。
玄関から入ると3畳や4畳ほどの小さい部屋があり、左はオモテと呼ばれ、仏壇の間、そして床の間がある広間へとつながる。この部屋はたいてい南向きで庭がしつらえられ縁側がぐるっと西側まで回る、日当たりもよく一番いい部屋である。ただ、日常生活では使うことはほとんどなく、行事ごとに使われることが多い。玄関から東側はその昔は土間があり、竈の部屋につながることが多かったみたいだが、戦前戦後くらいからは客間、洋間のような作りのものが比較的多い。
玄関から小さな部屋をまっすぐ入ると、居間がある。居間から東側に台所。ほとんどのところは床が張っているが、少し前の家は土間のままで竈(かまど)が据えられている。
居間から西側は寝室にしているようなところもあれば、納戸のように使われているところもある。その部屋からたいてい屋根裏部屋につながる急な階段、梯子がある。大抵の古民家は、西北のこのあたりの床の損傷が激しい場合が多い。そして、多くの場合に家の裏側に風よけの防風林を植えたり、山を抱えているところが多く、湿気がたまりやすく、風の流れも悪い。排水も手入れされていない場合が多く、葉っぱが堆積したり、土が堆積したりとさらに悪い環境を作っている。
トイレやお風呂は母屋にはなく、たいていは東側に離れて立っているか、長屋門がある家ではそれをつなぐような形で外廊下を介して、水回りがくっついている。
材木はツガが使われていることが多いらしく、梁は地松が多いそう。
木のことは今から勉強なので多くのことは語れないが、どちらも現在ではほとんど淡路島で取れることはない。松は松くい虫にやられほぼ全滅している。
小屋裏は、ほとんどの家で大人の人がようやく立てるくらいの高さのところに松の梁が横断していて大迫力である。土天井と言われるような土と笹?で作った天井を設けているところもある。全部ではなく、たいていオモテの仏間、床の間の上部だけが多い。
あくまで一般的な農家住宅の典型的な例ではあるが、ほとんどの農家の家はこういう作りになっている。どこで、どういう風にこの形に落ち着いたのか、それまではどういう変遷をたどったかは興味深い。